
Kaori Nakao
お母さんのお弁当の力
朝、お弁当を作る。帰って来た時には食べ終わった空っぽのお弁当箱。これを見て、お母さんたちは「嬉しい!」と思う。
お父さんたちや子どもたちよ!想像してみて欲しい。そんなお母さんの心の中を。
食事というのは、作って、それを食べてくれる人がいて、その人が美味しい!と嬉しそうにしてくれると、作った方は本当に嬉しいものだ。それがだんだんと毎日食べていると、どこかで当たり前になってしまって、「美味しい!」「ありがとう!」さえ言わなくなってしまう。
いただきます!ごちそうさま!だけでは、本当はちょっと物足りない。
これどうやって作ったの?など作ったことに興味を持ってもらえると製作者冥利に尽きるのだ。毎日がそんな力を入れて作れる訳ではないが、ちょっと頑張った時にはそんな興味の持ち方をして欲しい。
しかし、お弁当は食べているところはみられない。
お弁当箱を開けた時の顔、心を想像して時々カワイイいたずらを仕掛けたり、時々手紙をそっと入れたり、時々想像を裏切るようなお弁当になっていたりすると、子どもたちがこの上無い笑顔になっているのを私たちは見ることが出来る。
素晴らしい出来栄えの料亭のようなお弁当を指しているのでは無い。ひたすら食べやすいように小さなおにぎりがキレイに入れられていたり、ある日のリンゴはウサギさんならぬ文字が彫ってあったり、いつもの枝豆が今日は串に刺してあり、ゴマがついていると思ったらよく見たら顔だったり、お弁当箱にゴミがついていると思ったら、それは小さな手紙だったり、昨夜一緒に手伝ったおかずが全部食べたと思ったらお弁当に入っていたり、いつもと違うお弁当が年に数回あったりするだけ。
気付いたその瞬間、子どもはお母さんのことを思っている。何か、離れていても心が通じ合った瞬間を見たような気持ちになる。
これを作ったお母さんたちは、この顔を決して見ることが出来ないのに、「喜ぶ顔を想像して」朝の忙しい時に仕込むんだなと思うと、胸が熱くなる。お母さんのお弁当の力は、大きくなっても必ず心に残っていて、大事な時に力を発揮するはずだ。
簡単にネットでポチッとした高価なプレゼントの何百倍も心に響いていて、後からじっくり効いてくる。ボクシングでいえば、一髪の強烈な右フックよりも、じわじわ効いてくるボディブローのようだ。
ここまで子どもたちを見ていると、ボディブローが効いている子どもの方が、小さな物事にも心を寄せられるし、ものを大切にするし、人の心を大切に感じることも出来る気がする。
食べる瞬間を見られないのに、心を込めるお母さんのお弁当の力は、何よりも偉大で、愛おしい。