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  • Kaori Nakao

大人の凸凹事情

 私の夫は、私のいちばんの理解者であり、少々凸凹さんである。このことを書くことは本人の了解を得ているが、書いてもいいことと、嫌なことがあるので、本人が内容をチェックしてからアップすることを約束している。


 凸凹さんについては、元々の所謂グレーゾーンなところだったり、はっきりと発達に偏りがあるところだったり、はっきりと発達障害と言われるものだったり、または元々持ち合わせていた性格の「ある部分」を後天的な環境で強めてしまったものだったり、様々な場合があるので、一言では言えないし、決めつけることも出来ないと思っている。


 私自身もある意味凸凹さんの一人だと思っている。


 ここまで35年幼児教育に携わってきて、誰でもどの子でも凸凹さんである。なので、凸凹が強い子どもたちへの対応を考えた時に、必ず行き着くのが「どんな時もその子に寄り添うった対応」が必要だということだ。これは一貫している。

 

 例えば、友だちと遊びの中では大きな声ではっきりと主張もするし、結構大人のような物の捉え方も出来る子なのに、ある場面を設定されて人前で話すということになると、それだけは出来ない。ドキドキして泣いてしまって出来ない。それなら、「無理に今、みんなの前で言わなくても良いからね。」と声かけて無理に言わせたりしないで、その時を待とうとするとそれも嫌だと言う。「言うから!」と。でも、言えない。自分と葛藤しているのだろうと推測して、待つ。そして時々声をかける。子どもの心の中は推測しか出来ない。察して取った大人の対応が、本人にとってドンピシャではないこともきっとあるであろう。

 ただ、こうして探りながらも、その子に寄り添おうとしているその時間、声、心が小さな積み重ねとなり、子どもも信頼をしてくれて、大人も深く深く理解出来るようになって来て、いつか一緒に乗り越えられることがある。  数年後、その子が小学生になって一緒に振り返ってみた時に、「あの時はね、何故だか分からないけど、みんなが見ているのが怖いと感じたんだ。」とか話すこともある。「いつから、怖くなくなったの?」などと質問して「へ〜そうなんだ〜」とこちらの推測と違うこともあるし、「やっぱりそうだったんだ〜」となることもある。  夫との間で、私の理解が一方的過ぎて、夫婦大ゲンカが繰り広げられることが多々ある。これも、夫曰く「ケンカじゃない。ボクがあなたを怒らせたりイライラさせたりしているだけ」らしい。

 しかし、この1〜2年でグッと減って来た。なぜなら、お互いにこの凸凹について、面と向かって話し合うようになったからだ。  私は先に述べたようにこの仕事についてたくさんの凸凹を持ち合わせている子どもたちを見て来た。進学時に普通級ではなく、支援級に行った子どももいるし、支援学校にいった子もいる。普通級に行ったが、苦労している子もいるし、思ったよりもすんなりと馴染んでいる子もいる。  話がズレたが、そんな風に多くの凸凹の強弱のある様々な子どもたちと向き合って来た私が、夫の性格が悪いのではなく、凸凹がちょっと強めなのではないかと思い始めたのが数年前。でも、本人も認めきれず、そこに向けて話し合うことも出来ず、そうなると私の中でも疑惑でしかなく、、、普段は大変に温厚なのに、ある得体の知れないスイッチが誰かによって入れられるとものすごい拘りが強い人に変身してしまう性格なのか??と悩んだり、怒ったり、向き合い過ぎて疲れたり。


 しかし、何故私は子どものことは待てるのに(凸凹具合が大きくても、小さくても)、夫のことは待てないのだろう?と考えた。すると、答えは「大人だから」だった。


 大人なんだから、ここは切り替えられるだろうよ!!!大人なんだから、、、、、と思うと、待てないことが多かった。そして、大人である凸凹の夫は、それをねじ曲げてしまうような態度も取れてしまうから。問題は小さなことが発端でも、ねじ曲がったり捻り返したりしながら、どんどんおかしな方向へ向かっていく訳である。  それが時間をかけて話して来た中で、「大人だから」後に説明してもらえることが増えた。「大人だから」子どもと違って、きちんと説明してくれる。小学生になった子どもたちと、その時を振り返るように、夫婦なので、さっきのことをすぐに振り返れるようになった。すると、私には分からなかったことがたくさんあったことに気づいた。


 例えば、夕方17時からとても大事な予定が入っているとしても、私はギリギリまで予定を詰め込むタイプ。これも欲張ってなんでも入れ込む凸凹さんのひとつかも知れない。その日のコップに満タンの注ぐタイプ。

 一方夫は、朝から17時の「とても大事な初めての予定」のことが気になって、スイッチが入りお尻がそわそわしてしまう日があるそうだ。いつもではないらしい。そんな日は、自分のことがわかっているので、余裕を持って対応したいと考えて、その日のコップには大事な17時からの予定しか入れたくないのが本音。しかし、仕事もあったりするので、そこは自分なりに調整して行動していると本人は言っているが、ここで凸凹なのが、心配症なわりに、綿密に逆算したりしない。と言うところである。ただただ「17時のとても大事な用事」と言う重みに気もそぞろになってしまう日があるのだ。そんな日は、ケンカが起きやすい。

  

 何かいつもと夫が違うなと感じると、「今どんな気持ち?」と聞くようにした。すると最初は「別にいつもと変わらない」と言う。これを繰り返しているうちに、聞いてくるのだから、何か違うんだな?と夫の方が自分でも知らなかった自分のことを客観的に見るようになった。そして、「あ〜もしかしたら、あのことで今気持ちがそわそわしているのかも知れない」と気づいてくれるようになった。  夫は自分の凸凹の大きさに気付き、小さい頃の苦労もそれが元だったのか、、、と思い当たる節も見えて来た頃、とても辛そうだった。認める方が楽なのか?認めないで今までのようにそこを見ないフリしてしまった方が楽なのか?と聞いたら、どっちも辛いけど、認めて今出来ることをして行った方がずっと心は楽だと言っていた。  夫は学び取るのに何事も大変に時間がかかる。人の倍以上は確実にかかる。でも、確実に階段を登って身につけることは出来る。 そして、一旦身に付けたものは中々取れない。しっかりと根付いていく。 良いことは、根気よくそれを続けられること。しかし、時にそれが剥がれにくいので、臨機応変な対応は少々苦手なのである。  夫の幼少期に関わって来た大人たちがそれを見抜けず、ただの性格の悪い子、気の小さい子、ムラのある子と言うレッテルを貼られて来たのだと思われる小さい頃のエピソードの数々に二人で涙したこともある。

 夫はそれが辛く悲しかったので、封印していたようだった。幼少期の思い出が全くないとよく言っていた。心の奥に何枚も扉があって、それをたくさん開かないと出て来ない。開けないようにして来たと。思い出が無いのではなく、思い出したくなかったのだと、つい最近気づいたのである。  大人の凸凹事情は、これからも学びの一つとして、夫と向き合いながら、掘り下げて行きたいと思っている。    

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