- Kaori Nakao
子どもの頃の勘違い
私は、子ども時代を思い切り子どもらしく過ごすことが出来たと思っているが、親の期待と思いが強すぎて制約も多かった。いつも何故なんだろう?とすぐに疑問が湧き出る。なので、説明してくれる大人が大好きだった。なんで?なんで?と聞く私を面倒くさいと思った大人もいただろう。子どもらしく思ったことはすぐに行動!やってみて学ぶタイプ。見守る方も大変だっただろう。
一つ、鮮明に覚えていることがある。
幼稚園を卒園して小学校に入ってすぐの頃。幼稚園の担任の先生のお誕生日を覚えていたので、お小遣いで近所の洋菓子店でプリン1個買って、道でお花を摘んで、お手紙を書いて、幼稚園に届けに行った。喜んでくれる先生の顔を思い浮かべて急いで行った。多分スキップもしちゃっていたはずだ。
職員室に行き、園長先生に挨拶をして担任の先生を呼んでもらった。
ドキドキして待っていると、ニコッと先生が出てきてくれた。「お誕生日おめでとうございま〜す!」とプレゼントを渡すと先生は「ありがとう」と言ってくれたが、次に出た言葉は「またね」だった。あまりの拍子抜けに「え?」と思っている間に職員室のドアはパタンと閉められてしまった。
ん?なんだ?今のは?? 嬉しくなかったな、今のは絶対に嬉しい顔じゃなかったぞ。 なんでだ??
幼稚園楽しかったのに。。。。卒園したらなんでだ??
今日は誕生日でただでさえ嬉しい日じゃ無いのか?
何故だ??
と帰り道は頭の中が?????でいっぱいになった。
家に戻ってから母親にこのすべてを伝えると、母が言った言葉がこれまた衝撃的だった。
「あなた幼稚園でちっともいい子じゃなかったから、担任の先生はあなたのこと困った子だと思っていてあまり好きじゃなかったのよ。ママは知ってたわよ。園長先生はあなたのこと「おもしろい子ね」って言ってくれてたけど、ママはそう言われるのあまり嬉しくなかったわよ。」と。
なんていうことだ!
確かに私はいたずらっ子で、おもしろそうなことはなんでもやってみた。だから、子どもらしく過ごしたと思っているのだ。 それってダメだったの???
そんなことが分かったのが小学生。なんでも後から分かるものだが、遅すぎる気もする。
幼稚園はカトリックの園で、毎日礼拝堂でお祈りの時間があった。椅子を持って広い礼拝堂に移動してお祈りをして教室に戻る。その時、何故か私はハサミを持って礼拝堂へ。お祈り中、美容師さんのように前の子の髪の毛をチョキチョキと切ったことがある。礼拝の時間が終わり、椅子を持って教室へ戻る時、床に髪の毛がバラバラと落ちているのに先生が気付き、私の仕業だとバレてしまい、お掃除をしてから戻るように!とホウキとチリトリを持たされて、バタン!と大きなドアを閉められた。広い礼拝堂の正面からイエスさまが見ている。あまりごめんなさいという気持ちは無かった。ただ、広くて静かな礼拝堂に一人ぼっちだということに心細さを感じていたことを覚えている。
反省した気持ちを覚えているのは一つ。
食後には使ってはいけないというトランポリンがあった。そのおきてを破り、食後にビョンビョンとトランポリンで飛んでいたら、ウップ!となり、止められずトランポリンの上から吐き散らかした。私とそこら中を掃除してくれている大人を見て、大変に申し訳ない気持ちになったことはしっかりと覚えている。
部屋には大好きな大きな木の積木があった。それは本当に大きくて雛壇を作ると子どもがお雛様のように座れるくらいだった。それで雛壇を作り、みんなでお雛様ごっこをした。私はお内裏様のポジションに座りたくて、五人囃子や三人官女に決まった子たちが座っているところを避けながら、一番上に登っていこうとして、お雛様に決まった子の手をつかもうとしてずっこけて、みんなに捕まりながら落下して、たくさんの子があちこちぶつけて泣くと言うマンガみたいな大惨事になったこともあった。なのに張本人はおもしろくて大笑いしていた。そして無傷。
こんな子だから、そうか。先生は嫌いだったのか。卒園してせいせいとしていたのか。
哀しかったと言うよりは、びっくりした。先生と言うのは「誰のことも嫌いにならない」「子どものことはみんな好きなはず」と思っていたからだ。
当時、学校が終わると遊び場の一つとして幼稚園の園庭にもよく行っていたが、そのお誕生日事件以降はなんとなく足が向かなくなった。
私をおもしろいと言ってくれた園長先生のことも大好きだったが、会わなくなってしまった。今こそ会いたいな〜と思う。記憶を辿ってネットで探したら、懐かしいお顔が出てきた。ご存命では無いようだが、園自体は大きくなっていた。
私の子どもの頃の大きな勘違いだが、今思うと、在園中にみじんもそんなことを私が感じないまま過ごせていたのは、その担任の先生はやっぱりプロだったんだと言うことだ。
私が覚えているエピソード以上のことがあっただろう。
今、同じ仕事していても、こんな子、笑ってしまうくらい大変だったと思う。
子どもらしく、子ども時代を過ごさせてくれてありがとう!と伝えたいな。