
Kaori Nakao
感じる言葉
先住民族の言葉や、禅の言葉、仏教の言葉などには深く感じる言葉が多い。各地で語り継がられてきたはずなのに、今の日本は、世界は、この言葉を軽視しているか、全く大切にしていない。
自然に対して。
未来の子どもに対して。
隣人に対して。
家族に対して。
今回は子どもと自然に対しての言葉に特化して書いてみようと思う。
「我々は、7代先の子供たちのために、今何をしなければならないか考えて行動する」
これは先住民族の言葉だ。ネイティブアメリカン、インディアンと呼ばれ、アメリカと言われる大地に先に住んでいた民族の言葉。この呼び方や、民族には多くの部族があることなどを語るのは今回は割愛するが、本来ならばその民族が白人によってあまりにも理不尽な扱いを受けてもなお、残した言葉だと言うことは一言添えておきたい。 さて、本題のこの言葉。今の子どもたちのことはもちろんのこと、この先に続くまだ見ぬ7代先の子どもたちの為の決定を「今」するべきなのだと言う言葉だ。7代先と言うと何年先のことなのか?これは2−300年先を指すのだそうだ。
今の決定が7代先の子どものたちの為になるのであれば実行する。今、この木を切ることが7代先の子どもたちの為なのかどうかを考えると言うのである。さらにその背景には、自然に対しての畏敬の念も持ち合わせてのこと。
「土地は先祖からの預かり物ではなく、子どもたちからの預かり物」
「最後の木が枯れ、川が汚染され、最後の魚が釣り上げられてはじめて、人間はお金を食べることができないことに気がつくものだ。」
その頃なんて知るかい!と今のことだけに動いているように見えるこの日本。
きっとこの世界がずっと続くと本気で思っているのだろう。
今、儲かるかどうか、今、楽になるかどうか、今、今、今、、、、、、
先を見ると言うことは、今のことに満足していないと出来ないことなのだろうか?
どうしてこんなに目先のことだけ、視野の狭い考えをするようになってしまったのだろうか?
もちろん今を生きることはとても大切なこと。今がなければ先もないのだから。でも、今だけを生きてしまうのは刹那的だ。先に繋がる「今」を生きないと。 便利を追求して人間は知恵を使って工夫して新しい世界を切り開いてきた。
その便利が地球を苦しめている。その便利が人間も苦しめている。
地球は温暖化によって異常気象が続いている。
人間は便利なものを作った分、人間の仕事が奪われている。
「知識は過去だ。知恵は未来だ。」と言う言葉もある。
知識はないよりあった方がいい。知恵に使えるから。
その知恵を今、どこの向けたらいいのか?自分たち自身を苦しめていることに気づき、もっと先の未来を見て使っていこう。
今目の前にいる子どもたちがいつか親になった頃、その子どもたちがシアワセに暮らしていける日本とはどんな日本なのか?どんな世界なのか?
せめて2世代先まで思いを馳せることは出来ないのか?
AIと仕事を取り合い、職につけず、食うにも困ってしまうようにさせたいのか?
日本がダメなら世界に行けばいいのか?
もっと生きる為に大切なことを身に付けなくてもいいのか?
そう考えていくと、私は、大切なものというのはどんどん原点に戻っていく気がする。
生きる為に必要なことは何なのか?をしっかりと考え、それを自分自身の手で実行出来ないと生き続けていけない。
誰かに何かをしてもらっている以上、そこが止まったら一巻の終わりだ。
今の日本は世界から見たら貧困の位置付けに入りつつあるけれど、とは言え、明日食べることにも困っている人ばかりではない。そう言う人たちが、せめて2世代先のことまで考えて行動するだけで、まだ間に合うのではないかと思う。
このまま、何も考えないでいけば、日本は少子化が進み、この先人口は減る一方。だから、AI に仕事をとって変わられてもちょうどいいのかも知れない。その代わり、消費する人も少なくなるのだから、AIさえ仕事が減り、必要なくなれば捨てれば良い。その頃、人間はAI に任せていた分、知恵を使うことが減っていたので、今よりさらに後退している。
そうなった時に生きる為にすることは食べること。食べるものを作るのは機械になってしまっていたら、、、、、土の部分がなくなってしまった日本。コンクリートから土を作る機械を作るのか?元に戻す為の知恵を使うのか?
人間は同じ失敗を繰り返してきたと思うが、今、止められるもののあるのではないか。
だって、先の先輩たちがそれを身をもって経験したから残してくれた言葉があるのだから。
「自然から遠ざかれば 心は固くなる」 「生きとし生けるものに敬意を示せば、 彼らは敬意を持って答えてくれる」と。