- Kaori Nakao
男らしく女らしくとは?
私は小さい時から「女らしくしなさい」と言われるのが一番嫌いだった。らしくとは?何を持って指すのか?小学生の頃からそれが不満だった。
私の母は雑誌に例えると「婦人画報」のような人だった。やっと産まれた待望の一人っ子が、この私。気の毒だが、野生児そのもののような子だった。母が張り切って私にフリフリの服を着せても、動きが猿のようで、「元気な男の子ですね」とあまりにも何度も言われるので、ある時から諦めて、髪を短く切り、ズボンしか履かせなくなったと聞いている。 これもまた極端な話だが。
お陰様で生き生きと子どもらしく育つことが出来た。子ども「らしく」でいいじゃないか。それなのに、時々言われたのだ、「女の子らしくしなさい」と。なんなら男の子らしくしたかったのに。
両親を見送った後、実家の片付けをしていたら、小学生の頃の作文などがごっそりと出て来た。大事にとっておいてくれたのだと嬉しくなって、片付けをそっちのけで読み出した。
今とあまり変わらないところが難点だが、稚拙な文章がおもしろくて止まらなくなった。
「羽が欲しい」1年生
これは土曜日に学校がまだあった私の小学校時代。帰りにお腹が空いて家まで飛んで帰りたいからだとか、好きなところにひとっ飛びですぐに遊びに行きたいからだとか、書かれていた。
「男になりたい」3年生
これは今なら職員室で取り上げられてるのではないか?いや、あの頃ももしかしたら問題作品だったのかもしれないが。。。。
作文の中では、母に「男になりたい」と相談しているが、母が「今回は仕方ないから、生まれ変わってからにしなさい」と言ったらあっさりとそうだなと思った話や、「男になったら、今度は男らしくって言われるわよ」と言われ、そう言えばそうだな、、、といとも簡単に納得している小学生だ。
要は小さい頃から「〜らしく」と押し付けられるのが嫌いだったということだ。
先生らしく、大学生らしく、生徒らしく、、、、と言われると、その枠の中にいないといけない気持ちになってしまう。それは今もそうだ。どうにかして、何にも属さない何かになろうとしている気持ちが常にあると思う。保育士らしく、経営者らしく、、、、しっくりこない。
強いて言うならば、「人間らしく」「自分らしく」なら自分はOKだ。 そして、今は「おばさんらしく」なら受け入れられる。「女らしく」は今も嫌なのに。
どうでも良いこだわりなのかもしれないが、私にとっては小学生からのものなので、これと付き合いながら、「人間らしく」「自分らしく」生きていくのだ。