
Kaori Nakao
薄めの遠目 見え過ぎちゃって困るあなたへ
これ、よく保護者に使う言葉。 大切な子どものことだから、目をカッと見開いて、一つも逃さ無いように見るのが親。それはそれでとても大切。困っていること、嬉しいこと、悲しいこと、見逃さ無いように、どんな時も寄り添ってあげたいから。それは親にしか出来ないことだから。
ただ、あまりによく見過ぎて、放っといても良いことまで何かしたくなってしまう。見えちゃうと放っておけない。そりゃそうだ。しかし、そうなって来ると、余計なお世話!!も増えて来る。善意の押し売りになる前に、グッと子どもを信じて、見えちゃっても手を差し伸べるのを我慢出来るかな?出来ないなら、薄めの遠目でお願いします。あんまり細部まで見なくても大丈夫だからね。
そんな話をよくする。この言葉をかける保護者は、子どものことが大切で、大切で、私が守らなければ!という責任感の強い人が多い。
もう一つ先を見れば、いつまで自分が守るのか?を考えて、少しずつ手放すことが大切になって来る。自分で守れるように、自分のことが自分で考えて出来るようになることが、その先の目標のはずだから。
今日は、実はこの子育てに関する「薄めの遠目」話ではなくて、、、、、、
ちょっと気づいたこと。
私は55歳になりローガンズの仲間入り。元々目が良くていつまでも視力は2.0もある。しかし、近くが見えない。。。。♪ちーか過ぎて見えーない、奇跡もあるねー♬という杏里の歌が分かる人は同年代。この歌が毎日何度も頭の中で繰り返される。
そうなると、鏡の前でメガネなしで自分の顔を見ても、シミもシワも気にならないという素晴らしいことに気づいた。元々全く気にしていないのもあるが、逆にメガネをかけて鏡を見たらびっくりした。結構すごいじゃん!と。笑
そう思った時に、人はメガネをかけていない私が自分の顔を鏡で見る程度にしか、実は他人のことなんて見えていないよって誰かに言いたくなった。人の目を気にしたり、誰かにどう思われるかを気にしたりする人、いるじゃない?
大して見えていないから。
だから、気にしなくていいじゃん。でも、これってどのくらい見えていないかが実感出来ないと、そういう気にし屋さんたちは納得しないのかな?
じゃ、その時が来たら分かるよ、とだけにしておこう。
次に思ったのは、若者のマジメさについて。
これも、私は元々フマジメさんなので、とてもマジメな人たちのことを尊敬もしている。私には出来ないような細かなところまで気を配り、準備して備える。でも、それがまた何事も過ぎると少々厄介になって来る。やっぱり大切なのは、私の一番好きな言葉の「いい塩梅」である。しかし、これが難しい。いい塩梅を獲得する為には、元々マジメさんだった人が、フマジメになるのではなく、たくさんの経験を重ねて少しずつ緩んで来るといい塩梅に。私のようなフマジメさんからのスタートの人は、たくさんの経験という失敗を重ねて少しずつ締まって来ていい塩梅に。
それにプラスして、やっぱり薄めの遠目が出来るようになると楽なのではないかと思った。だって、仕事でもなんでも、よ〜く見えちゃうから、不安にもなるし、頭にも来るし、小さなことでも正そうとするし、、、、現にフマジメさんの私とて、仕事の時は若い頃、しょっちゅうカッカとしていた。ここはどうするの?なんで今判断しないの?とカッカしていた。見え過ぎちゃって困ってた。見てしまったら放っておけないじゃない。
今でもその性分は変わっていないかもしれないけれど、ローガンズの仲間入りをしてからは、これでもカッカする熱量が変わったというか、回数が減ったというか。
心して頑張ってすごい努力をして、薄めの遠目をするのではなく、歳をとって細かいところが見えなくなって来て、ちょうど良くなったのが私。若い頃には出来なかった薄めの遠目が、なんといとも簡単に出来るようになった。
加齢万歳である。
きっと若い頃、こんなことを先輩たちがたくさん私に浴びせてくれていたのに、出来なかったのだろうな。。。。と、思うと、若者たちもいつか分かる。としか言えない。
でも、いつか分かるのだ。
そんな日が来るまで、目を開いてたくさんの見え過ぎちゃって困る経験をして、いよいよその時が来たら!!!今の私の想いとハイタッチしよう!!(その頃には濃厚接触も可能になっていると信じて)