- Kaori Nakao
誰かのために
日曜日は卒園児たちと、スタッフたちと、保護者の方たちと、毎年恒例の葉山駅伝に出てきた。毎年、ちょっと同窓会にみたいで楽しみにしている。そして、大人の頑張る本気の姿を子どもたちに見せることで、子どもたちにもチャレンジする気持ちが自然に出てくる良い機会でもある。
私は、決して走るのが早くは無い。むしろ遅い。けれど、図々しくも楽しみにしている。それは駅伝というタスキを繋ぐことで、一人では頑張れないことも頑張れてしまうこの感覚が好きだからだ。ましてや、ここ数年は卒園児と一緒に出ることになり、子どもが必死で頑張っている姿に胸が熱くなり、知らず知らずにそれに応えようといつもよりもちょっぴり無理が出来ちゃう自分がいる。 自分のためより人のための方が頑張るタイプなのか。。。 ラグビーでよく取り上げられる one for all,all for one。 これは、一人はみんなのために、みんなは一人のために、という意味に間違えられるそうだが、本来は、一人はみんなのために、みんなは一つの目標のために、という意味だそうだ。
ベタだけれどこの言葉が好きだ。
合わせて、「友だちはいいもんだ」という歌がある。古い歌だが、同じような意味合いの歌詞である。
人は自分のためだけに生きるより、誰かのために、誰かに喜んでもらうために、何かの目標を持って生きる生き物だということが2011年の311の震災でよく分かった。
それは、震災の年に開業した私は時間がいっぱいあった。それまで昼夜問わずに働き続けていたのに、いきなりのんびりとした時間の流れになった。なので、311で酷く傷つい場所にいける時間がたくさんあったのだ。そこで、毎月何度も足を運んだ。そこで知り合った人がまた誰かを紹介してくれて、応援に行く場所も増えたり、密な関係が築き上げられたりした。
6月、まだまだ関東の人間からしたら、避難所から仮設住宅にやっと移動したばかりの現地の人たちが、たくさんの支援をもらって当然だと思っていた。
すると、現地の方は3ヶ月経ち、「生きていても、誰かの世話にならなければ生きられないなら、死んだ方がよかった」「誰かのお荷物になって生きているのは辛い」と言っているという話を聞いた。
現地で精力的に被災した方たちを自分も被災しているのに応援している人がいて、彼女の応援をするという形を続けた。
そこで、現地の彼女があの頃何度もいうのは「誰かのために生きないと人はダメになる」
自分が誰かに必要とされている何かが必要になって来たと。
彼女は仕事づくりを始めた。それを応援して、女川の皆さんが作ってくれた物を、関東で売り、それを手にした人が喜んでいたことを写真にとって女川の人たちに伝えていくことを続けた。
「私が作った物を喜んでくれる人がいたの?」と涙を流した人を見たことを忘れない。
「もっと作ってもいいの?」と涙した人もいた。
生きている証。そこには一人じゃない誰かが必要だ。
来年の駅伝に小学生からお声がかかるように、明日からまた走り出そう!