
Kaori Nakao
雪マーク
今度の日曜日は葉山町民の集まる葉山駅伝である。ここ10年近く毎年参加させて頂いている。にわかランナーの私たちでも出られる楽しい駅伝である。会期が近づくと、葉山町で走っている人が多くなる気がするのは、私だけではないはずだ。走っている人みんな駅伝に出るのではないかと思うくらいだ。そのくらい盛り上がるこの葉山駅伝を作り、継続している裏方の皆さんのご尽力には心から毎年拍手を送りたい気持ちになる。
そんな訳で、このところ日曜日の天気予報に注目している。低気圧の進み具合や通る道で右にも左にも振れてしまう天気。1日の中で雪マークがついたり、雨マークになったり、曇りマークだけになったりと変化し続けている。
雪マークといえば、雪だるまのマーク。これがちょっとかわいい。
小学生の頃は「明日雪が降るかもしれないってよ〜」の親の声に胸が爆発しそうなくらいワクワクウキウキした。何度もカーテンを開けて雨から雪に変わっていないかを確かめたりするも、眠さに負けて爆睡。しまった!と朝、飛び起きて窓の外を見ると一面雪景色になっていた日には小躍りするくらい!思ったより積もっていないとガッカリ。。。 学校は多分今みたいに休校にならなくて、どんなことしても歩いて行ったし、校庭の誰も踏んでいない雪を踏みたくて早く行ったり、寄り道して良いところ見つけて遊んだり、授業も1時間は無しで思う存分校庭で遊んだ覚えもある。
例の過保護なミイラになり切れなかった母親は、私のずぶ濡れを心配して学校帰りに着替えを持って現れたり、タイツを持って現れたりしたこともある。
私と言えば、平気で体操服に着替え終わり、それに長靴というスタイルでまだ遊んで帰ろうとしているということもしばしばあった。
中学生になってからはスキー、スノボと雪遊びを楽しみ、大人になると、幼稚園に就職。そのまま雪の日を楽しみにする人生は続いていた。
いや、今も半分は。 でも、いつの頃からなのだろう。雪予報を見ると、ワクワクする気持ちより先に、電車が止まったらスタッフは出勤出来なくなるから体制整えないと、、、、、坂道だらけの我が家の周りはどのくらいになるんだろう?など雪対策をダダダダダ〜と頭の中を張り巡らせて、それからそれからそれから随分と後から、ワクワクがやってくるようになってしまった。 それを大人と言うのか。そう言ってしまえばそうだが、私にとっては、それは何か罪悪感に近いようなものまで感じてしまう。
雪マークの雪だるまを見て、即座に「わーい!」と思えた子どもの頃の心の方が素直で良いというだけでなく、正しくさえ感じるのだ。
どうでも良い話だが、私は雪マークを見て即座に喜べないような正しくない、おもしろくない大人になってしまった、「半分は楽しみなんだけど」と心苦しい言い訳さえするカッコ悪い大人になってしまった、と本気で毎回思うのだ。
もうきっと、雪マーク=わーい!には戻れないんだろうな。 これもまたちょっぴり哀愁漂う寂しさにも繋がっている。 さて、そんな雪マークが来週は日曜日から水曜日まで続いている。(22日8時時点) ここまで来るとワクワクの方が上回ってくるではないか!! まだまだ大人になりきれていないとは捨てたもんじゃないぞ!